1.『ねえさん』ってだぁれ?


2.念願の『椀久』だァ!!


3.夢が現実に!


4.長かった七年間と石のベルト












初めまして、駒吉の家内です。

まずは『姉さん』って、だれのこと?と思われるでしょう。
恥ずかしながら私の事なんです!!

昔、勝欣次を名乗っていた主人は、
昭和23年頃から関大の尺八同好会(後に関大邦楽部)と関わりがあり、
私達が結婚した昭和38年の翌年の夏(現勝欣次がお腹の中で8ヶ月の時)、
尺八・琴パートしかなかったクラブに、三味線をしたいという学生さんが
入部して来ました。
その学生さんが私と2才位しか年が変わらず、『奥さん』と呼ぶのに
抵抗があったのでしょうか…
『姉さん』と呼ぶ様になったのが始まりです。

それ以来OG・OBの人達が結婚して子供さんができ、
我が家に出入りする子供さんまでが私の事を『姉さん』と呼び、
どうしてか学生さん以外のお弟子さん達にまで伝染した様です。

大笑いしたのはその当時の欣昌会の会場へ私のお友達が来てくれた時、
お弟子さんに「奥さんはどちら?」と聞いたら「アッ!姉さんですか」と言われ、
『極道の妻』の世界へ来たのかと思ったそうです。

学生さんより年賀状を頂いた時も『姐様』と書いてあり、
私はあの世へ行くまで『姉さん・姐さん』なのかなァーと、
嬉しい様な照れくさい様な!!

アー どうしましょう…

                      (2008.3.2)




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昨年の『第57回杵勝会関西公演』は、
勝欣次社中にとって記念すべき、20年連続の出演でありました!!

今年は21回目となります。

昭和63年、第38回に5挺5枚の『鷺娘』を出したときのことです。
舞台へ上がる直前、お家元の控え室の前へ行き、
みんな揃って右手を上げ少女合唱団の如く

『鷺娘、行ってまいりま〜す!』

これにはお家元、そして同席されていた東胡さんもニコッ?とされていましたっけ!!
私達が結婚した当時は女流のお師匠さん方が多くおられ、素晴しい舞台を見聞して、
「いつの日か勝欣次社中で舞台に出られる日が来るのかなぁ?」と
夢のようなことを思っておりましたので、初出演の時は胸が熱くなったのを
覚えています。

実は第29回に『五郎時致』を3挺3枚で出したことがありました。
「サァ、これから!」と思っていたら若い娘さんのこと、
結婚話が次々とあり、それから約10年・・・
やっぱり夢だったんだぁ・・・と、ぐっとがまんの子でありました!!

第38回以降44回まで、子育て中のお弟子さんの協力で何とかメンバーを揃えて
出演しておりましたが、第45回の折にいよいよ大ピンチ!
出演不可能と思いましたが「エーイ!!」と2挺2枚で『岸の柳』に挑戦。
大胆なことをし冷や汗ものでしたが、曲が終わった後、勝禄師匠に大変褒めて頂き
胸を撫で下ろす一幕もありました。
主人も「嬉しかったぁ」と安堵しておりました。

それから7年もの間、ハラハラ・ドキドキの2挺2枚が続き、
第53回からお囃子の入った曲、そしてだんだん大曲に挑むようになり、
今年は私達夫婦の念願だった『二人椀久』に挑戦!!
デモデモ、デモ、昨年末と年始めに結婚した駒ちゃん・恭ちゃんには
大変ご迷惑をかけております。
3月の杵勝会、5月の欣昌会のことを考えて結婚式の日をきめてくれた
2組のご夫婦に感謝しつつ、
出演者がみんな姉妹のように仲良くしてくれていることが私の宝物です。

感謝!!

サァ、この先どんなことが待っていますやら?


<<<初節句>>>

杵勝会にまつわる思い出をひとつ。
長女(現勝欣次)の初節句のひなかざりを求めにいった日、
サンケイホールでは第15回の杵勝会が催されていました。
寒い2月のこと。
長女を背中におんぶして当時流行のママコートを着、サッソウと!?
こっそり覗きに行きました。
そこは華やかな会場。
「私なんかの来るところじゃない・・・」とすぐ逃げ帰りました。。。

後に昭和61年の36回から平成11年の49回まで、お家元よりこの会の事務を
お受けすることになるなんて神のみぞ知る!!

                      (2008.3.7)




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去る3月12日、『第58回杵勝会関西公演』…

「2.念願の椀久だァ!!」でも想いを綴りました、
30年来の夢が本当になった『二人椀久』!!
きっと涙で舞台が見えなくなるのを覚悟して、ハンカチを手に
幕の上がるのを待ちました。

最初、「アァ、きれいに入れたな。」と思っていましたが
♪わざ〜ァァァくれ♪からの早いこと、早いこと!
誰かが止まったら…なんて思っている間に曲は終わってしまいました。
感涙よ!イズコ??
でも、舞台は輝いてたよ!ありがとう!!


<<<幼子と欣昌会ヽ(^o^)丿>>>

これまで継ぎに継いできた21年間。
これまで出演してくれた名取さんの皆さんにどんなにお礼を言ったらよいのか
わからないくらい。感謝!!

一昔前、杵勝会が近づく1月になると小さな子供達を連れて合同練習に
参加してくれたママさん名取さん。
私はお稽古をしている間、大声で泣いている子供達を乳母車に乗せて
ぐるぐる家の近くを廻っていましたっけ!(寒かったのにごめんネ)
その子供さんももうパパさん〜高校生になっているんですネ。
下合せの時は楽屋でスヤスヤ寝ている子供を見てお家元、東胡師匠もびっくり!
当日は会場で子守りをしながら受付。
ご来場のお客さんもびっくり!
でも、よくあやして下さいました。
今思い出すと冷や汗ものです。

皆さん本当にありがとうございました。

                      (2008.3.13)




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例年の杵勝会も済み、欣昌会に向けて走り始めました。

先月23日は供奴・越後獅子・松の緑・雛鶴三番叟など、大勢の曲の合わせ稽古でした。
私も雛鶴三番叟で唄うことになっていますが、雑音になる様なので
声を出さない様にしなければと思っています。

28年前の記念の会の時はある程度唄えたのですが、
白髪が1本増える毎に声が少しずつ出にくくなったのでしょうか?
それとも前は唄っているつもりだけだったのでしょうか??

この一週間、前回ご来場下さった方々に欣昌会開催のお知らせをさせて頂きました所、
早々とお手紙やお電話を頂きました。
中には、「まだか、まだかと待っていました。」と嬉しいお言葉。

時は少しさかのぼり、欣昌会開催のきっかけ話を一つ。
昨年の杵勝会の廓丹前メンバーの内、2人におめでたい結婚話が持ち上がりました。
しかし『いずれその内、出来るようになったら欣昌会を』と思っていた娘達は大慌て!!

『どうしよう!今から会場を予約して来年できるのか?予約は取れるのか?
 3月、4月に申込んで合否は7月頃でないとわからない。
 出演してくれるお弟子さん達は?賛助下さる師匠方は?』

とにかく5月3日予定で見切り発車となりました。

結婚する2人のお弟子さんは今年の3月の杵勝会、5月の欣昌会に合わせ、
昨年の12月8日と、年が明けての1月13日にお式の日を決めてくれました。
2組の御両家の方々にどの位感謝したら良いやら!!

この2人の結婚が娘達の腰に巻きついていた石のベルトを解き放ってくれた
マジックの様です。

昨年6月30日、文楽劇場より5月3日承認の返事を頂き、
サァ、見切り発車から激走へとポイントが切り替えられ、
欣昌会初体験の関大生1人ずつに説明。7年も間があくと、もう大変なんです。
2年位かけて作り上げることを短期間でしようとしているのですから…

しかし、嬉しいことに秋に入る頃には大体の構図が出来、
お弟子さん達もお稽古に熱が入り、
12月と1月には息子2人(新郎)が出来(私が思っているだけかも?!)、
嬉しいことばかりの中、杵勝会が終わりました。
後は本プログラム作成の作業に入ります。
と言っても娘達にうるさがられない様に手助けするだけですが…

サァ、私は出演者の“やぶにらみ”を作るといたしましょう!!

                      (2008.4.4)




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★緋扇貝(ひおうぎがい)★


愛媛県愛南町・由良で作られている、珍しいカラフルな二枚貝です。

昨年の杵勝会の折、20回連続出演した記念にこのストラップを作りました。
舞台に乗れないわたしの想いをこの緋扇貝に込め、
メンバー全員が帯につけて、『廓丹前』に一緒に乗りました。



『由良の緋扇貝・オフィシャルホームページ』 もどうぞ★








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